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様々な人間関係について、聖書からヒントを得るコーナーです。 | |
| 親子の関係 |
頭の悪い母親を尊敬できない
母親を尊敬するということはどういうことかを一緒に考えてみましょう。
母親はなぜ尊敬に値するのか、どこに尊敬の根拠があるのか。知識を根拠とすれば、母親を尊敬できないこともあるでしょう。
しかし、一つには、「産み育てた」という部分で、母親の存在を考えてみたらどうでしょうか。一人の命が育まれる妊娠・出産という過程の重みを考えてみるのです。
妊娠に伴う体の変化と生活の変化、出産のリスクと苦しみを考えてみるのです。さらに育児の過程を考えてみてはどうでしょう。
2時間置きの授乳、おしめなどを取り替える手間、こういうことで育児ノイローゼになり、育児を放り出す人もいます。子ども一人が育って行くことへの労力、また精神的な悩み、色々なことを乗り越えて、今の自分があると考えた時、やはり母親は、知識量を比べれば劣っているということはあるかもしれませんが、産み育ててくれたことの重みを覚えて、母親を母親として敬うことができるのではないでしょうか。成長してくれば、話しが合わないと思うことはいくらでもあります。しかし、産み育ててくれた母親のことばを尊重しつつ、ことばを尽くして自身の計画、思いを語り、摺り合わせる中で、将来の道筋を開いてゆくことが大切なのでしょう。
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一人で苦労させるべきか:子離れ・親離れの時期
子どもが成長し始めると、だんだん親のコントロールが利かなくなるものです。親から見れば、子どもの判断力などまだ未熟で、社会と自己の現実もよくわかっていないように見えます。
しかし、口だけは達者で、ああいえばこういうと、次々と主張を並べ立てるばかりで、もう議論には太刀打ちできないということがあります。
そんな子どもの様子を見ていると、歯がゆいかぎりであるということがあるでしょう。けれども、やはり子どもは自立しはじめているということと、親子関係は、「子育て」から「子つき合い」に移行していることを認めなくてはなりません。
となれば、今ある子どもの状況をそっくりそのまま受け止めること、しなくてもよい失敗をすることへの口惜しさがあっても、実社会に学ばせる度量を持つことも大切になってきます。
それはもちろん、つけ放して終わりというのではなく、いつでも相談に乗るという姿勢を見せながら、子どもの自立した歩みに任せるということです。ここで信仰を持っている親ならば、神に、子の歩みをゆだねるということができるでしょう。
神に祈り、愛の神が子どもの歩みを導いてくださるということへの平安を得ることができます。
そして親もまた、子どもから離れて、自分の人生を生きることへと戻って行くことができるはずです。
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だらだらと意欲のない子:いかに動機づけるか
子どもの成績が悪いことで、親はいらいらすることがあります。
部活から帰って来ると、疲れたと服も着替えずダラダラと横になっていたり、夕食後も、いつまでもテレビを見ていたり、おしゃべりをするばかりで、一向に勉強をしようとする気配がない。こんなときに、どうしたらよいのでしょうか。これも子どもとの距離が近すぎて、子どもの必要が見えていないための問題であったりします。
たとえば旦那さんが仕事から疲れて帰ってきて、テレビの前でナイターを見ながらごろごろしていても、それは仕事で疲れてきているのだと割り切れる部分がありますが、子どもに対しては、そうすることができないでいることがあるものです。
勉強しない子どもにどうやって勉強をさせるかということよりも、どうして勉強をしないのか、わかろうとする努力が必要でしょう。たとえば子どもは部活で、激しく消耗しきっていて、体が充電するまで、だらだらしていることもあるでしょう。
ともあれだらだらしているのには、それなりの背景があるはずです。
あるいは、身体的な理由ではなく、心理的な問題、たとえば失恋でもして、落ち込んでいて何もやる気がないのかもしれません。
あるいは、勉強をしなくてはとやるべきことはわかっていながら、すべき課題が多すぎて、どこから手をつけていいものかと、試案にくれたあげく、思考停止という状況にあるのかもしれません。そういう子どもの気持ちに寄り添って、子どもの必要をわかろうとすることが大切なのでしょう。わかろうとするということは、根ほり葉ほり聞き出すというのとも違います。ですから、関心を向けながら放っておくこともその一つです。
色々と話しをしてくる子どもであれば、会話をとおして、それとなく、将来の目標を一緒に考えてあげるのもよいかもしれません。
人は、何か目標が見つかれば、尻を叩かれなくても、それなりの行動に出てくるものです。
自分なりに親も何かにチャレンジしている姿勢を見せることが大切な場合もあるでしょう。
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短気な子ども:いかにしつけるべきか
自分の思い通りにならないと癇癪を起こしてしまう子がおります。
そのような子は、基本的な欲求がいつも力でねじ伏せられているので、その復讐をする子だと言われます。
他の人に傷つけられたと感じているので、傷つけ返そうとする、そのような動機で種々の振る舞いが出てくるわけです。
しかしそのような態度は、まず受け入れられることがありませんから、ますます関係はこじれていくのでしょう。そこで大切なのは、親がその子の癇癪を適当に交わして、その行動によって傷ついたり、困惑したり、怒ったりという態度を見せないことでしょう。
その子が、「復讐する子」のポジションへと入り込まないようにすることです。
むしろ、その子の思いも寄らないこと、つまりいつも好かれ、愛されていることを納得させるような行動を考えて、起こしてゆくべきでしょう。
そのためいつも子どもの行動をよく見続け、健康的な振る舞いがあったら、そこを即座に認めて、評価してあげるのです。そういう部分でうまくゆく方法を、生身の子どもと向かい合いながら、見つけていくのが、まさに子育てなのかもしれません。
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職場での関係
言ってもいないことを「言った」と言いふらされてしまう
仕事が合う、合わないというのは、二つの問題があります。一つは仕事そのものを楽しんでいるかどうか、二つ目には職場の人間関係がうまくいっているかということです。大抵仕事を変えたいと思うのは、職場の人間関係が難しくなってということが多いように思います。
けれども、仕事そのもので、仕事が合わないという場合には、本当に自分が目指したいものは何か、自分が必要とされている場はどういうところかを追求してゆくことも大切でしょう。若い時には、色々と挫折感を味わいます。けれども、若いということは、チャレンジがいくらでもできるということですから、 傷つくことを恐れずに、色々な可能性を試してみることが大切でしょう。その過程で、自分が進むべき道筋も整えられていくものです。
一方人間関係がうまくいかないということがあります。そういう場合には、どうしたらよいのか。ケースバイケースに対応を考え ていかなくてはいけませんが、その一つに言ってもいないことを「言った」と言いふらされてしまうということがあるでしょう。
なんとも、残念なことですが、悪意があってか、悪意がなくしてか、真意のほどはわかりませんけれど、言ってもいないことを言ったと言いふらされてとても困るというようなことが、時としてあります。そういう場合にはどうしたらよいものか。「噂も75日」と、その対処法は、時間が解決してくれることを待つしかないようにも思いますが、75日の待ち時間はなんともつらいものがあります。
ただ、自分の側で注意し、新たな問題を引き起こさぬ配慮も必要かもしれません。「言わないことを言った」という時には、まったく 根も葉もないことでもあるのですが、意外とこちらの側で注意しておくこともあったりします。つまり、そう言いふらす人が、 上司や同僚に対する陰口をたたくとしましょう。まあ、そういう陰口は聞きたくもありませんが、お付き合いのために、しかたなしに、 あいづちをうって聴いてあげるということになります。ところがそのあいづちが問題となることが多いようです。
つまり、あいづちというのは必ずしも同意を意味しているわけではないのですが、あいづちのあり様いかんでは、この人は自分が語っていることに同意してくれたと受け止められることがあります。 そしてイコール自分と同じ考えを持っている、というわけで、別の人に同じことを話す時には、利害関係の問題から「あの人は、こういうことを言っている」、と不本意な言い方になってしまうわけです。ですから、あいづちを打つにしても、相手によっては、はっきりと自分は違う考えを持っているということを言わなくてはならない こともあるでしょうし、話されている内容に同意するよりも、相手の気持ちを聞いて受け止めていくことがよい場合もあるでしょう。 聖書には、「自分の口と舌を守る者は、自分自身を守って苦しみに会わない(箴言21:23)」とあります。 また、聖書の基本的な教え、十戒には、「あなたは隣人について、偽証してはならない」という戒めがあります。これは嘘をついてはいけ ないとい うことを意味しているだけではなく、もっと積極的に、隣人についてよいことを話してやり、隣人のことばでも行いでもできるだけ よくとってやるということを教えています。
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