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牧師になる前は

高校生の頃

1961年、秋田県生まれです。牧師になろうと思い立ったのは、高校生も終わりごろでしたかね。初めは小児科医になりたくて、高校も地元では医学部進学率の高い某高校の理数科で学んでいました。 それが人生というのは出会いってやつですね。ある教師に出会ってから、文学の世界にはまりましたね。 暇さえあればくだらない小説書いててひとりで喜んでいました。親友が読みたがっていましたが、とても読ませられるようなものじゃない自分だけの世界でしたね。 そんな感じで、心の世界への興味が増していったんだと思います。

それから高校2年生の時でしたね。クラスメートが交通事故で亡くなりました。 その一週間後、数学で同じクラスだった(各教科ごと、成績順でクラス編成がなされていたんです)同級生が自殺。 机が綺麗に整頓されていて、ニーチェの「ツラトゥスツラはかく語りき」と「聖書」が並べて置いてあったと聞きまして、何やら色々と考え込んでしまいました。

それとクリスチャンであった母親が、変わっていました。 私が医学部に行くなんてことには全然関心がなくて、ただ神学校に行って牧師になることを望んでいたんです。 そんなことが色々重なりあって、牧師になろうと思ったわけですね。

神学校へ

で、高校卒業してすぐに神学校へ行ったわけです。けれども、若かったんですね。 18歳の若造が、「先生」と呼ばれるわけですよ。けっこうはちゃめちゃな性格で、はめ外したがり屋だったんで、どうも毎日が、お手本にされるような修業的な生活に感じて、疲れてしまいましてね、2年で神学校の学びを終了してしまいました。 あのころはかなり、精神的に消耗しきったなという思い出があります。

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挫折と回復

そんなわけで、神学校卒業後は、一年田舎の自宅で、ルンペン生活していました。 ちょっとここには書けないけれど、それはひどい生活でしたよ。母親も無目的に時間つぶしている息子を見ながら、随分困っていたでしょうね。 でも、何にも言わなかった。それがよかったんだなと思います。人間の心には回復力があるでしょ。 僕も、だんだん、何かしなくちゃな、このままだらだら生活していてもなと思って、医療技術短期大学を受けたんですね。 道が開けましてね、作業療法学を学びました。作業療法学を学びながら、また心が癒されたなという気がしましたね。

大学病院で働く

それから、某大学病院に就職しました。しごかれましたね。 病院長は、当時リハビリテーション医学の世界では第一人者でしたし、作業療法室の上司もその世界では知られた実力者でした。 上司、私の坊ちゃん育ちと、柔さとマザコンぶりを見抜いたようでしたね。 作業療法の技術のみならず生き方の姿勢までスパルタ教育されましたよ。 最初の一年、よく泣きましたね。朝開けるのが早く感じましたね。寝たと思ったら、もう朝か。憂鬱な目覚めでしたが、挫けずに一生懸命仕事に出かけました。 当時は、脳卒中、パーキンソン病、脳性麻痺など、中枢神経疾患の患者さんが中心で、仕事はおもしろかったんです。 次から次ぎと色々な患者さんを持たされ、よく勉強させられました。

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もう一度牧師の道へ

そして2年目、少し仕事を覚えるようになって、余裕が出てきましたね。仕事覚えても、仕事がきちんと出来るというわけではかったですが、余裕が出てきて、色々なことを考え始めるようになりましたね。大学病院があったのは、人口2000人の小さな温泉場でしたから、仕事以外何もすることないんですよ。 だから色々と考えましたね。それでちょっと省略しますけれど、もう一度牧師の道に戻ってみようかって思うようになったんです。

26歳の時です。上京して神学校に入り直しました。最初に神学校に入ってから、もうほぼ10年経ってましたね。 それと同時に、大学にも編入学しました。神学校と大学を卒業するころには、もう大学病院で働いて貯めた大枚も底ついていましたね。 もう働かなくちゃなというわけです。こうして現在東京世田谷の玉川キリスト教会牧師をしています。 そんな時に、日本バプテスト教会連合という団体にご縁があって、教職として認めていただき、東京の二子玉川で牧師として働き始めたというわけですね。

学びの歴史

弘前大学医療技術短期大学部(現弘前大学医学部保険福祉学科)、日本大学文理学部(英米文学)、慶應義塾大学法学部(国際政治学)、ルーテル同胞聖書神学校(聖書科)、聖契神学校(本科・研究科)、東京聖書学院、神戸ルーテル神学校大学院卒(神学修士)。佛教大学大学院教育学研究科卒(教育学修士)。現在米国ベテル神学校大学院(牧会学博士)課程在学中

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