| HFDJの活動状況 |
HFDJの諸活動について報告集です。
- 支援活動
フィリピンの貧困地域(セブ島オパオ地区など)に住む人々を対象に実施されている生活自立支援プログラムについての活動報告です。
レポート 随 想 手 紙
- セミナー活動
世田谷区で行っている、国際ボランティアへの理解を深めるためのセミナー活動についての報告集です。
- プロジェクト
連絡先: asiasupport@tamachape.com
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レポート
レポート1989.10
昨年2月、私はフィリピンセブ島を訪れました。セブ島と言えば、観光地の一つとしてイメージされるのが普通でしょう。しかし、この旅を通して改めて私は、アジアに慢性化した貧富の差を見せつけられる思いがしました。
セブ空港があるマクタン島とセブ本島を結ぶマクタン大橋の下にスラム街があります。今回、私は直接その現地に赴き、その様子を具体的に視察する機会を得ました。
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海に張り出して、6畳一間のような掘ったて小屋が、杭で支えられながら林立するスラム街。まず大変な悪臭が気になります。海外進出企業の工場排水で海は汚れきっています。
スラムの子どもたちは、そこで用を足し入浴も済ませる始末。当然、様々な病気にかかり命を落とすことにもなります。5、6人からなる家族が、ベットも布団もない竹の間?(床板に竹を使用し、その隙間から下の汚れた海が見え、悪臭がしています。)に雑魚寝し、食器らしい食器も見あたりません。この地区で活動をする協力者に、就職難、都市への人口集中、海外進出企業の搾取、フィリピン人の国民性など、このような生活を続けてしまう様々な原因の説明を受けながら、なかなか一筋縄ではいかない問題解決の難しさがあるように思わされました。
帰国後これらのことを考えながら、やはり保険福祉施設・教育施設が一番必要と思わされたのですが、どうも自分の手に負えるような話ではありません。けれども、何か今すぐ簡単にできることはないだろうかと色々と思案していました。
そんなときに、親戚から古着を詰めた小包が届き、こういうことも必要だろうと思いつきました。つまり、日本でも古着は、お下がりとしてまだ利用されるのですから、その範囲をフィリピンの人々まで広げたらどうかというわけです。また、大変感謝なことに、ちょうどよいタイミングで、娘が通う幼稚園の協力を得て、中古衣料を揃えることもできました。アジアへ物資を送る会の実現です。今後、物資を送るという対処療法的な働きから、根治療法的な働きとしての保険福祉施設・教育施設の運営へと発展させることができたらと、何とも大きな夢を描いています(1989.10.)
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レポート1999.01
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スラム地区の中に入ってゆくと、小学生ぐらいの子どもたちが、手作りの小さなビリヤード台を囲んでいました。真っすぐ伸びた棒を手に、ビー玉を突いて、ビリヤードをして遊んでいました。普通ならば学校に行っている時間です。またふと見ると、ビリヤード台の四隅にセンタボ硬貨が何枚か転がっていました(1センタボは、1ペソの1/4、1ペソは約3円)。お金を賭けて遊んでいたのです。
現地のスタッフに聞きますと、学校に通う余裕のない子どもたちは、結局有り余る時間を、このような大人のまね事で時間をつぶし、青年になっても、ぶらぶらと時間を過ごすようになると言います。才能や賜物を開発し、コミュニティのあり方を変えてゆく社会的なビジョンを持つ青年に育ってゆくには、とても難しい状況があると感じました。
けれども考えてみれば、6つの財布を持っていると言われる日本の子どもたちも、そのような点ではあまり変わらない問題を抱えているようにも思います。6つの財布で購入されたおもちゃで、子ども部屋が溢れている光景は珍しくありません。日本の子どもは、フィリピンの、このような地域の子どもたちとは違って、義務教育を始め、学習塾や英会話、ダンス、水泳、ピアノなど、様々な教育の機会に恵まれています。けれども、伸びてゆくのは子どもたちの運動技能や、知識量だったりで、コミュニティのあり方を変えてゆく勇気や他者を思いやる気持ちではなかったりすることがあるからです。このような二つの子ども社会のあり方を見ながら、私は「親の関わり」のあり方について、考えさせられる思いがしました。かつて、母親が内職の傍ら、子どもに着せ替え人形を作って遊ばせる、そんな時代がありました。物の不足を親の愛情で埋め合わせ、同時に物を活かすことを教えるような時代がありました。
子育てに、何よりも時間と手間をかけることを忘れた時代、それが現代社会の世界的な病理なのかもしれないと思わされます。(1999.01)
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レポート2001.03
今年1月、東京の国立オリンピック記念青少年総合センターにて、青少年教育国際シンポジウムが開かれました。今回のテーマは、「青少年のボランティア活動の推進」です。基調講演をなさった平安女学院大学の坂口順治学長の話に、とても印象深いお話がありました。
坂口学長が、自分の青少年時代を振り返り、敗戦後の混乱期に米国から届いたララ(RARA)物資の思い出を語ったのです。北米在住の日系一世二世の方々で、キリスト教会の関係者や、労働組合や多くの市民の方々から、食料や中古衣類の梱包が送られてきたと言います。そして坂口青年もその中の小さな包みを開けたのです。
そのとき、プーンと何とも言えない香りがして、出てきたのが綺麗に洗った下着のシャツであったそうです。ないないづくしの時代に、坂口青年はそのシャツを着て、その暖かさとともに、心の豊かさを受けた、一人の人間として扱われた尊敬の思いを感じたと言います。
坂口学長は言いました。「人から援助の手をさしのべてくださった。しかも、それが心のこもったものであった。私の人に対しての感謝の気持ちはこうした事実から育まれたのかもしれません」そしてこのような経験をベースに、ボランティアのあり方を考えていると述べたことが印象深く残りました。今年3月に、私は、フィリピンセブ島に旅をしました。今回は初めてホームスティの経験もしました。日本人といささか習慣の違うトイレと入浴の体験もしました。
フィリピンでは、トイレットペーパーを使う習慣は一般的ではなく、トイレの脇に水をためておく容器と手桶が用意されています。手動ウオシュレットと言うべきでしょうか。
また浴槽やシャワーなどもついておらず、トイレの脇のスペース(浴室と言うべきでしょう)で、トイレで使用する手桶で水を汲んで体を洗うのです。
これがスラム地区になると、トイレも共同、井戸端が浴室代わりになっているようです。ともあれこのような現地の生活は非常に貴重な体験になったように思います。私もこのような経験をベースに、援助のあり方をさらに考えさせられることになったからです。現地の必要にあった援助を、また心のこもった援助を、さらには、人の心を育てる援助をと考えますが、そのためには、現地の人々の生活感覚から考えていくことも大切なのだなと思わされたことです。(2001.03.)
随 想 随想2001.11
米国テロ事件の後、フィリピンのミンダナオ島でイスラム過激派による武力蜂起が起こりました。フィリピン国軍が動き出し、ようやく事態は、収束に向かっているようですが、事件をきっかけに、キリスト教の宣教師は、比較的安全な島の北部に移動させられましたし、北部のルソン島などでも、白人(アメリカ人)には、自宅から2キロ範囲内で活動するように、と安全のための行動制限が敷かれました。
このようなフィリピンの状況を色々と考えますと、私たちの住まう日本はなんと平和に過ぎることか、と思わされます。また、フィリピン人の生活状況を色々と重ね合わせ考えますと、私たちの住まう日本はなんと物に溢れた国なのか、とも思わされます。
平和で豊かな国に住まう日本人。さぞ幸せだろう、と思われるはずなのに、現実はそうではありません。たとえば、毎年3万件の自殺者がおり、3年で9万件、自殺未遂、自殺企図、漠然とした自殺願望の者も含めるならば、その数は大変なものです。 何でも、いつでも、好きなものが好きなだけ手に入る。好きなことが好きなようにできる。そんな豊かさの中でなおも飢えている人間の状況があります。心の飢餓と言えばよいのでしょうか。どんなに物があっても、人間には、決して満たされない部分がある、そういうことを考えさせてくれます。
人間の心の必要を満たすものは、やはり人の心なのでしょう。優しいことばや、思いやりや、気配り、「心を使う」ということが、人の心の必要を満たす、そんな現実があるのではないでしょうか。つまり、現代の日本では、
そのような心を使い合う習慣が失われてきている、それが一番大きな問題なのかもしれません。 物やお金ばかりではなく、心を使う、そんなことをこの一ヶ月考えて歩んでみるなら、きっと、新たな発見やご縁、そして絆が生まれる、そんな気がします。
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随想2001.12
物資援助に関する問い合わせが毎月寄せられます。豊かな日本のことですから、おもちゃが遊ばれもせず投げ出されている、そんな状況におもちゃを送ってみてはどうだろうか。そんな問い合わせがあります。 一緒にフィリピンの子どもたちのことを考えてくれる心遣いをうれしく思います。けれども、どのようにおもちゃを提供したらよいものか、と考えさせられました。
フィリピンのスラム地区を歩いていると、不思議におもちゃで遊んでいる子どもを見かけることがありません。フィリピンにおもちゃ屋がないというわけではありません。大きなデパートに行けば、日本の子どもも欲しがるだろう素敵なおもちゃがあるものです。しかし、おもちゃで遊ぶのは、やはりハイソサイエティの子どもたちなのかもしれません。 日本では、子どもにおもちゃはあって当たり前のところがあります。現代ゴマと言われるベイブレード、ムツやチャピーチなどのロボット型玩具、人気商品はたいていどの家庭の子どもも手にしているものです。 しかし、スクゥオーターエリアの子どもたちはそうではありません。子どもたちは、たとえば、板切れをいかだ代わりにして海に浮かんで遊んだり、手作りの凧をあげて遊んだり、ビー球と長い棒切れで、ビリヤードをして遊んだり、後は駆けずり回ったりといった形で遊んでいるのです。少し大きくなると、空き地に設けられた仮設ゴールでバスケットボールを楽しむ子どもを見かけますが、おもちゃが彼らの生活の背景となることはないのです。それほど、余計な「物」がないという状況なのでしょう。 実際、3畳程度の広さに、6人なりで住んでいる家の
竹を敷き詰めた床は、隙間だらけで、床下の汚れた海が丸見えです。そんなところではプラレールを広げるのも、シルヴァニアファミリーのセットで遊ぶことも、難しい
ように思われます。そういう状況で、おもちゃをどのように提供するか。おもちゃを手にし、喜ぶ子どもたちの顔を見たいとは思いますが、スラム地区は、子沢山の家庭がたくさんあります。そのような環境で、彼らが手にしたことのないようなおもちゃを公正に分けるのは、かなり難しい状況があるように思います。 そこで思いついたのは、最近日本の都市部でも活用されるようになってきたおもちゃライブラリーというものです。
現在、日本の都市部では、子育て支援の一環としておもちゃライブラリーという働きが広がっています。おもちゃのない子におもちゃを提供するというのではありません。別の意味を持つ働きです。つまり、人間関係が希薄になりがちな都市社会の中で、若いお母さんが子連れで訪れ、子どもはおもちゃで自由に遊び、お母さんはお茶を飲みながら自由に友達作りをする、そのようにして、ぎすぎすし、潤いのない都市社会の中で、心癒される場とする目的からです。 目的は違いますが、フィリピンではまさにおもちゃを提供するという目的で、おもちゃライブラリーというものを現地協力団体のセンターの一角に作り、子どもたちが自由に遊びに来られるようにして、そういう場所に寄付するのがよいかもしれません。 中古のおもちゃも使い方と提供の仕方次第で、フィリピンでも日本でも、人間性回復の大きな可能性を秘めた道具のようです。
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随想2002.02
3月21日より23日まで、私は軽井沢にて子供セミナーの講師をいたします。初日は、「現代社会と子どもたち」をテーマにお話をします。その準備をしながら、フィリピンとのつながりで、日本の子どもたちの様子を色々と考えさせられました。
というのも、今月もサポートをする子どもたちの生活状況を記した書類に目を通しましたが、それらを見ますと、どの子どもも、当たり前のように、家の掃除、洗濯、買い物、食事作り、水運びといった家事手伝いをしています。また一番上の子は下の子の面倒を見ている。 そんな生活をあれこれ想像すると、勉強する暇などないだろうな、と思うところがあります。また、自分の自由を我慢してひたすら家族の犠牲になって働く、本当にしんどく思うことがあるだろうな、と思わされるところがあります。 否が応でも、自己中心の芽を削られて、他人のために生きざるを得ない状況があり、そのような中でフィリピンの人々は育っている、しかし日本では、自己中心の芽を削るものは何もない、そんな気がします。
児童精神科医の佐々木正美さんは、「日本ほど自由で、豊かで平等で平和な国はない、けれども、こういう、どこの国もほしがっていながらなかなか得られないでいた自由や豊かさ、平等、そして平和、こういうものが皆そろった時に、思いもしない結果が出てきた、それが今の日本ではないか」ということを言っています。 便利で自由な生活にどっぷりとひたる、それが意味するものは、私たちに欲望を我慢する習慣が失われてきているということです。なんでも手軽に、いつでも手にはいるから我慢して何かをするということがなくなる。つまり、欲求、欲望、衝動を我慢する機会や必要がなくなって、我慢しないということが当たり前になってくる。我慢する必要のない生活をしているうちに、我慢できなくなってくるというわけです。
おそらく、大人が我慢しなくなれば、若い人や子供たちはもっと我慢しなくなるでしょう。それが衝動買いとか、物に対しての欲求がおさえられないというのであれば、まだよいかもしれません。けれども、それが人間関係にも起こってくる、つまり今はやりの言い方で言えば、「切れやすい」ということが起こってくるのであれば、それは問題ですし、実は、そういう問題があちこちで起こり始めているというのが今の日本の状況なのかもしれません。
日本人は、生活が豊かで便利になったことで、それなりに幸せと思える生活をしているかもしれません。しかし、一方で人に対する思いやりや気づき、気配りの感覚がどんどん落ちてきている状況があるように思います。いわば物の豊かさによって、心が壊れてきているのかもしれません。 そういう意味で、今の時代、日本における子育て、人づくりというのは、非常に難しい問題を持っているように思います。家庭の中で親が子どもにどうあるかというだけでは解決のつかない、日本人が置かれている環境それ自体を見直していかなくてはならない問題があるということです。
貧しさの中にありながら、お互いにお互いを支えあっているフィリピンの人たちを見ていますと、物に乏しい生活の歩みをとおして、人間の心が心として研ぎ澄まされ、いのちを持ち続けることを考えさせられます。人間は人間らしく生きるために、それほど多くのものは必要としないものなのでしょう。
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手 紙 レター 2000.10
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2000年7月16日、船便で発送した物資3箱は、9月25日、無事フィリピンのセブ島に届きました。今回は、セブ市のスラム街オパオ地区で活動するNGO(コンパッション)に向けてお送りいたしました。現地担当者より、お礼の手紙が届きましたのでご報告申しあげます
福井誠先生・アジアに物資を送る会の皆様
拝啓 皆様お元気でお過ごしでしょうか〜(中略)〜
さて皆様に送っていただいた中古衣類は無事届き、今回はマンダウイ市のパクナアンという地域にある草ぼうきを作って生計をたてている人たちの集落で配布させていただきました。 私の友人がここで子供のセンターを作り、子供たちが教育を受けられるよう援助していて、彼女たちに中古衣類をゆだねました。センターにきている子供たちの家族のためにビニールの袋にそれぞれにあった衣類をつめ、プレゼントしていました。 袋をそっとのぞいた一人の女の子は、中にはいっていた赤いチェックのワンピースに思わず「Sanina(ドレス)」と歓喜の声!私も思わずほほえんでしまいました。 ここの子供たちは本当に貧しく、私の友人もとても感謝してくれました。大変ありがとうございました。私からも心から感謝申し上げます。お一人お一人の上に神様の祝福をお祈り申し上げます。
敬具
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セミナー
第1回NGOセミナー
2001年7月15日(日) 飢餓の真相(日本国際飢餓対策機構総主事、清家弘久氏)エチオピアの飢餓の近況をビデオで紹介、さらに飢餓状況が起こる背景について、私たち日本人の生活と結びついたお話を、わかりやすくしてくださいました。
第2回NGOセミナー
2002年2月11日(月) ともに生きていくために私たちにできること(MHDSC代表 田原寿子氏)フィリピン・セブ島における貧困の状況と生活自立支援活動について、いくつかの事例を紹介しながら、お話してくださいました。
第3回NGOセミナー
2003年5月10日(土) フィリピンセブ島での保健福祉衛生活動の実践レポート(EMF派遣看護婦 石黒美穂氏)セブ島オパオ地区バランガイ、ヘルスセンターで働く、石黒美穂看護婦による保健福祉衛生活動の実践レポートをしていただきました。 現地での、予防接種や栄養指導などをはじめとする、様々な保健福祉活動やHFDJと世田谷区文化国際交流課の助成金の協力により、保健衛生活動を推進するために作成されたパンフレット配布の様子についても、説明していただきました。 フィリピン・セブ島における貧困の状況と生活自立支援活動について、いくつかの事例を紹介しながら、お話してくださいました。
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プロジェクト
ヘルス・センター活動支援
1.これまでの経過
1998年の設立以来HFDJでは、主として中古衣類を送る物資援助の働きを通して、フィリピンのスクォッターの方々の生活自立支援にかか わってまいりました。その後の2001年3月、再び現地を訪れることにより、スクォッター・エリアに住む方々の生活自立支援のためには物 資援助以上のものが必要であるとの認識を得、現地のPO団体であるMHDSC(Mandaue Hope Development Student Center)と協力し、スク ォッター・エリアの子どもたちの教育資金を援助するプログラムを開始いたしました。
それによって現地の状況に親しむにつれ、フィリピンにおける「都市貧民」の根本的な問題解決のためにどのようなプログラムが最も 有効であろうか、という問題意識を持つようになりました。物資援助や教育援助など、いわゆるどのNGO活動も行う既製のプログラムの 物まねではなく、その地域に密着してできる活動を研究し、実施することが大切だということです。
そのような模索の中で、今回の保健衛生活動の推進にかかわる「セブプロジェクト204」が考えられました。おりよくセブ市の公的 医療保険福祉機関であるシティ・ヘルス・センターに派遣されるEMF(福音主義医療協議会)の石黒美穂看護婦と知遇を得、医療従事者の視点 から現地の状況について色々と伺う機会がありました。それによって、シティ・ヘルス・センターの無料医療制度がスラムの方々には十分 活用されていないことがわかりました。また、スクォッター形成の一つの要因でもある家族計画がうまくなされていない状況が推測され ました。そこで、家族計画や保健衛生活動などのプログラムを実施しているシティ・ヘルス・センターの働きをスクォッターの方々に、紹 介し、浸透させることを目的としたパンフレットを作成し、配布し、受診率を高めることが、生活自立支援の一環として有効ではないか、 と考えられたわけです。そこでこの活動計画を世田谷区国際交流基金の助成制度に申請し、認められ、経済的な支援を得ることができ、 パンフレットを作成、配布へといたりました。
2.実地状況
2002年6月、EMF派遣の石黒美穂看護婦が渡比、フィリピンセブ島、マンダゥイ市オパオ地区バランガイ・ヘルス・センターの職員とし て活動を開始しました。そこで石黒看護婦とe-mailやFaxで連絡を取りながら、パンフレットの草案を作成、他のシティ・ヘルス・センターの 職員などの協力を得ながら、推敲と校正を繰り返し、10月初めにパンフレットの版下を完成、10月中旬に印刷会社の成徳にて、4000部の 白黒刷りパンフレットを完成させました。10月21‐26日に、現地へパンフレットを持ち運び、 シティ・ヘルス・センターのセンター長に挨拶、またバランガイ・ヘルス・センターを訪問、パンフレットを届けております。
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写真説明:オパオバランガイヘルスセンター概観と、スクォッターでパンフレットを配布し説明するヘルスセンター職員
今後、この働きを中心的に進めてくださった石黒看護婦より、帰国次第、直接話を聞くという形での報告会を予定しています。 (以上)
ネヘミヤ・プロジェクト
ネヘミヤ・プロジェクトは、マンダウィシティ・バプテスト教会が、セブ島のスラム地区(オパオ)で展開している生活自立支援活動の一環です。マンダウィ教会の壮年会の方々の自主活動として始まり、皆でお金を出し合い、スラム地区に林立する状態の悪い家屋の修復、改築がその主な内容となっています。今回、HFDJの代表である福井師、および事務局員の大沢は、3月に現地で行われた、このプロジェクトに参加、現地の人々や他の参加者とともに、総勢約10人程度で、家一軒の解体と新築作業を進めてきました(見取り図参照)。 初日、半日かけて一階平屋のあばら家を解体、基礎工事の材料(セメント、砂利、木材、ブロックなど)の搬出作業を行いました。 二日目、午前中までに二階までの骨組みを完成させ、午後は一階壁面の工事を進めました。1階壁面は、四方にブロックを積み重ね、窓枠を作る形で仕上げられ、セメントをつなぎ材とし、次から次とブロックを積み重ねて作ります。 三日目、四日目は、壮年会のメンバーの家が火災で全焼したため、火災の後片付けなどのために一時作業中断。 五日目に、作業を再開、隣家の庭でセメントをこねて作り、セメントを運び、積み重ねたブロック穴をセメントで埋める作業を繰り返し、1階部分の壁をほぼ完成させました。窓枠作成には、坂戸バプテスト教会の北国牧師から贈られた電動ドリルがずいぶんと役に立ったようで、新築作業の約80%の工程を進めたということです。 残りの作業は、現地の人々の手にゆだねられ、後1週ほどで完成するということでしたが、今回の作業をとおして、現地の人たちとのさまざまなふれあいの場面があり、フィリピンの風土と文化、またフィリピン人の気質などに理解が深まったことは、感謝なことでした。
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