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元気になることば |
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悩んだとき、行き詰ったとき、聖書のこんな言葉を読んでみませんか?
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コリント人への手紙第二 05章17節
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
エペソ人への手紙 04章22-24節
その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖とをもって神にかたどり造り出された
新しい人を身に着るべきことでした。
エゼキエル書36章26節
あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
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詩篇55篇22節
あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。
イザヤ40章28-31節
あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、
その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、
たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
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マルコ06章31節
そこでイエスは彼らに、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。」といわれた。
人々の出入りが多くて、ゆっくり食事する時間さえなかったからである。
マタイ11章28節
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
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黙示録 14章13節
今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。・・・・しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。
彼らの行いは彼らについて行くからである
第1テサロニケ 04章13〜18節
眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。
あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。
それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、
生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。
第1コリント 15章55〜57節
死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。
死よ。おまえのとげはどこにあるのか。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
しかし、神に感謝すべきです。
神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
第2テモテ 04章07〜08節
今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。
かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。
私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。
ヨハネの福音書 12章24節
まことに、まことに、あなたがたに告げます。
一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
ピリピ 03章20〜21節 
けれども、私たちの国籍は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
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箴言 3章5〜6節
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
教会員コメント:
自分の納得できる答えを見つけようと考えれば考えるほど分からなくなってしまう時、このみことばを思い出して祈っています。
教会員コメント:
ちょっとしんどいなあと感じることがあったときよく読みます。
わたしはほんとうに神さまに信頼しているだろうかと自問自答しています。
また、神さまなんているのかなあと疑ってしまうことも時々あります。
でも、しばらくして振り返ってみるとき、ああ、やっぱり神さまがわたしを導いていてくださっているんだ、と認めずにはいられません。
コリント人への手紙第一 10章13節
あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。
むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
教会員コメント:
昨年の苦しみの中、教会に行き始めた私に最初に与えられたみことば御言葉です。
その苦しみでプライドを無くし、ボロボロになっていた私ですが、この御言葉から、波風の無い人生を送る人もいるだろうけど、私は、
試練に耐えることができる、と神さまが太鼓判を押してくれたから、この辛い試練が課せられたのだ、と負けず嫌いな私は勝手に解釈し、無くしたプライドをちょっとだけ取り戻したのでした。
しかし、神さまの素晴らしいところは、試練を与えて試しているのでは無い、ということです。
何故なら、脱出の道も備えてくださっているのですから。その脱出の道は、自分の希望している道とは違うかもしれません。
でも、神さまは人間が考えもつかない方法でその御業を見せられるお方です。
そのときは気がつかなくても、後から思えば、あれがベストだったのだ、と思わされることなどしょっちゅうです。
あぁ、あんな方法もあるのだ、と気づかされます。
神さまと人との時間感覚は違うため、すぐに結果が出ないことも多々ありますが、神さまは人間と違い、真実で絶対なお方です。
ですから信じて期待して結果を待つことができるのです。
教会員コメント:
高校2年生の時でした。以前に親しかった友人に冷たくされ、声もかけてもらえず、同じグループにも入れてもらえませんでした。
とても辛い孤独の時が、クラス替えがあるまで一年あまり続きました。出口のないトンネルにいるような気持ちでした。
ただ一つ幸いだったのは、高校1年生の時にバプテスマ(洗礼)を受け、信仰を持っていたことでした。
ただ神様に毎日すがるように「助けてください」と祈り、聖書を開きました。
このみことばは、その中でも特に私が励ましを受けたみことばです。
今では、信仰の歩みを始めて間もない私に、神様が与えてくださった貴重な時だったと思っています。
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ローマ 12章15〜18節
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。
だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
第1コリント 13章04〜07節
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
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第1ペテロ 04章12〜15節
人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。
罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。
あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
イザヤ書 43章4節
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
教会員コメント:
自分は誰からも必要とされていないと思いこんで、自分の殻に閉じこもってしまう。そんなこと
ありますね。
けれど、そういう考えは、やはり自分を一層追いつめてしまいます。
でも、神さまが、私たちをこの地上に置かれたのは、神さまのご計画あってのこと。
自分の必要性なんて、あとから分かってくる部分があるのかもしれませんね。
目に見えない先を、こう言ってくださる神さまに支えられて進んでいきたいものですね。
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マタイの福音書 7章7節
求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば
見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
詩編 18章32-39節
この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。
彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。
戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓をも引けるようにされる。
教会員コメント:
若い時期には、様々な試みがあります。先がよく見えないので、何かを新しく生み出して行くチャレンジが、大変な重荷に思えることがあります。
自分のやっていることがなかなか実りを得ず、何もかも無駄であるように思わされることがあります。
自分が無力で、無能で愚かであるように思わされることもあります。
そんな時に、私は、この主のことばによって度々励まされる思いがしました。主は、私たちに力を与えられる。さらに私たちの手を鍛えられるというわけです。
その結果は、主に導かれた、勝利なんです。
ヨシュア記 1章9節
強くあれ。雄雄しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。
あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。
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